わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

三一独立運動100年の日に

今日は三一節。それも100年目の節目の年だ。

なのに、日本の外務省は・・・

vergil.hateblo.jp

怒りのあまり、チェジュエアーでソウルにひとっ飛び!したいところだけど、明日から出張なので我慢我慢…(そして今月はすでに大赤字確定、でもあった。つら)

そして、金子文子の『何が私をこうさせたか』も読み終わった。

jihyang-tomo.hatenablog.com

去年、観たときにも興奮して感想を書いていた(笑)

文子が法廷陳述の場面で、朝鮮に暮らしていた少女期に「三一独立騒擾を目撃し」「胸が打ち震え、心から共感を覚え」・・・と語っていた。文子が朝鮮で身を寄せていた親戚は朝鮮人を(だけでなく、日本人植民者も家柄や貧富ではかり)見下し、収奪する植民者の家庭だった。その家で文子は虐げられ、抑圧されて「私は何者か、なぜこのような目に遭うのか」と自問自答し続けた(朝鮮に渡るまでも、その後日本に帰ってからもつらい状況は続くのだが)。そしてとうとう自死を決意するが、その間際、身を包む蝉時雨に、「死んではならぬ」と我に返る。

・・・突然、頭の上でじいじいと油蝉が鳴き出した。/私は今一度あたりを見まわした。なんと美しい自然であろう。私は今一度耳をすました。なんという平和な静かさだろう。/(略)/私はもう死ぬのがいやになって、柳の木に寄りかかりながら静かに考え込んだ。私がもしここで死んだならば、祖母たちは私を何と言うだろう。母や世間の人々に、私が何のために死んだと言うだろう。どんな嘘を言われても 私はもう、「そうではありません」と言いひらきをすることはできない。/そう思うと私はもう、「死んではならぬ」とさえ考えるようになった。そうだ、私と同じように苦しめられている人々と一緒に苦しめている人々に復讐をしてやらねばならぬ。そうだ、死んではならない。

『何が私をこうさせたか』岩波文庫版171-172pp

この3年後、文子は三一独立運動のデモ隊を目撃し、感動し共感する。そしてその年の4月に、親戚の勝手な都合でまた日本に送り返されるのである。

幼少期はネグレクト、長じては児童労働に虐待、搾取、・・・と踏んだり蹴ったりな人生なのだが、聡明な文子はそういう生い立ちから「自分が生きるこの社会とは何か」を考究していく。そして社会主義と出会ったとき「私はもう知っている」と思うのだ(20歳やそこいらで!)。彼女にとって三一運動に立ち上がった朝鮮人も一緒に闘いたい/連帯したい「苦しめられている人々」であり、天皇制や家父長制、資本家といったものが「苦しめている人々」だったのだろう。それが彼女の感性になり、朴烈の詩を読んでプロポーズするという行動に繋がり・・・投獄されてこの手記を書き、亡くなったのが23歳のときである。すさまじい・・・

 

100年前、朝鮮で
「朝鮮独立万歳!」を叫ぶ人びとの群れを陶然と眺めていた少女を思う

なぜ私はこんなにいじめられるのか
なぜ私は愛されないのか
なぜ、なぜ・・・と思い暮らしていた少女が
抑圧に「NO」を突きつけていく朝鮮の人びとに激しく共感したのは
自然なことだったのだと思う

そして100年経ち。

文子の国であり私の国でもある、
100年前に突きつけられたこぶしを踏みにじった日本は
そのことを反省するでもなく。
自分たちの仕打ちを旧植民地の人びとが恨んでいるに違いないと
自らの恐れが映り込んだ鏡を恐れて「注意喚起情報」という名のデマを流す

なぜ、植民地主義を克服し、侵略や抑圧を二度と繰り返さないために
連帯してがんばろうということができないのだろう

 

情けない・・・

アナキストになっちゃう気持ちが、ちょっとわかる気がするのでした。