わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

『アイデンティティが人を殺す』アミン・マアルーフ(ちくま学芸文庫)

帯に「帰属先はひとつではない。人間の多様性と尊厳を希求した名エッセイ、ついに邦訳」と書いてありました。原著は1998年。…20年前か

 

自分とは何者か。

何者かでありたい自分。

何者かでなければならないのか?

自分が何者なのか、それを決めるのはなんなのか。

 

そういう問いは、思春期ごろからぼこぼこ湧いてきて、ひところ流行った「自分探し」の迷宮が続く…ような、何かそういうものとして漠然と「アイデンティティ」ということばもとらえられているような気がします。

かくいう私も、若いころは「確とした私」といったものが自分の奥深くにあるような気がして、一生懸命掘ってみたものですが(苦笑)、掘っても掘っても私は私だし、掘っている間に変化もするし、内に向かってる場合ではないのだなと気づいたのはいつのことだっただろう…考えてみてもよくわかりません。

 

アイデンティティというのは抽象概念で、個々一人ひとりの存在は具体的。

 

30年近く前に大阪で「在日朝鮮人教育」に取り組む教員や地域子ども会のみなさんと出会い、それが私の「人権」を考え始める契機になるのですが

その当時は、「本名宣言:コリアルーツの子どもがルーツを明らかにする/民族名を名のる」実践が王道(?)のようになっていた時期(この辺は稿を改めてまた書きたい…ですが、かいつまむと入試でも学校生活でも厳しい差別が横行していた70年代に「差別するほうが間違ってるやろ!」とコリア名で立ち上がる/周囲の日本人がそれを支えるというのが根っこになった実践。それが定着し王道化していた80年代、根っこを見失い形骸化した「本名宣言:子どもが民族名を名のって実践のゴール!」みたいな似非実践も跋扈していたころ)でした。

同和教育でも「立場宣言:被差別部落出身であることを明らかにし、差別と闘う姿勢を見せる」実践が、中心的だった時代。

いずれにせよ、それはアイデンティティのありかたを考えさせる、考えざるを得ない取り組みだったので、私も実践報告を読んだり、小中学生のころに「本名宣言」した経験のある同世代の話を聞いたりしながら、では、対する私は? ということをぐるぐる考えていました(19歳~20代初め)。

 

いま思うと。そのとき考えていた「アイデンティティ」は「差別に対してどういうスタンスを取るか」という面に限定されたもので、一個の「わたし」全体をまるっと表すアイデンティティを考えていたわけではなかったなぁと、いまさら思います。

もちろん、差別に対してどういうスタンスを取るかという問いは重要で、その面を抜きに私のアイデンティティはないけれど、でもその面以外のいろいろな「わたし」も同時にあって、その一つひとつの面はどれが重要でどれが些末、といったものでもない。そういうふうに考えることが抜けていたなぁという気がするのです。

 

主要な帰属はたったひとつしかない、と考える人々が何時の時代にもいました。それはどんな状況にあっても他の帰属に優越しているので、「アイデンティティ」と呼んでよいのはその帰属だけだというのです。ある者たちにとってはそれは民族(ナシオン)であり、他の者たちにとっては宗教や階級であったりするわけです。しかし世界中で生じているさまざまな紛争に目を向ければ、絶対的に他に優越する帰属などないことがわかるはずです。自分の信仰がおびやかされていると感じるとき、人はアイデンティティとは宗教的な帰属に他ならないと考えがちです。しかし自分の母語エスニック集団がおびやかされれば、宗教を同じくする者たちとでも激しく争うのです。(中略)各人のアイデンティティを構成する諸要素のあいだには常にある種の上下関係が存在します。しかしそれは不変ではなく、時とともに変化し、人のふるまいを根底から変えるのです。/しかも私たち一人ひとりの生活において重要な帰属は必ずしもつねに、主要なものとされる帰属、つまり言語、国籍、階級、宗教といった帰属ではありません。(中略)人が主張するアイデンティティは往々にして、敵のアイデンティティを―ネガとして―写し取ったものです。カトリックアイルランド男性は、まずイギリス人との宗教的な違いを強調します。しかし君主制支持者に対しては、自分は共和制支持者だと言うのです。そしてゲール語を十分に知らない場合でも、少なくともゲール語っぽく英語を喋るわけです。カトリックの指導者がオックスフォード訛りで喋ろうものなら背教者扱いされかねません。21-23pp

 「本名宣言」も「立場宣言」も、要は差別がなければする必要がない…とわかっていたつもりでした。ただ、そう考えたときにいつも引っかかっていたのが、では差別がなければ自分につながるさまざまなもの(家族のルーツであったり、生まれ育った土地の文化や来歴であったり)はアイデンティティ足りえないのか? という疑問でした。差別があるから、意識されてしまうアイデンティティ。では差別がなくなればそのアイデンティティも消えるのか? と考えてしまっていたんだなと思います。

そうではなく、引用個所にもあるように、「わたし」のアイデンティティの一部としてそれが失われるなんてことはない。差別という「敵のネガ」としてクローズアップされる状態にあるのか、クローズアップされず光景に退く状態にあるのかという上下関係の変化が起きるだけの話なのだなと。

 

フランス人であるという事実を、私は他の六千万の人々と共有しています。一方、レバノン人であるという事実を、ディアスポラの人たちも含めれば、私は八百万から一千万の人々と共有していることになります。しかし、フランス人であると同時にレバノン人でもあるという事実 を、私はいったいどれだけの人々と共有しているでしょうか? せいぜい数千かそこらでしょう。/私の帰属のそれぞれが、そのつど私を数多くの人々に結びつけ直すのです。とはいえ、考慮に入れる帰属の数が増えれば増えるほど、私のアイデンティティはそれだけ特殊なものになるわけです。26p

 ここで筆者が「特殊」というのは、多様な面が組み合わされていくことによって「ほかの誰でもないわたし」というユニークな個性が生まれるのだ、という意味合いです。

 

確かにそのとおりで…。
思えば、本名宣言にも立場宣言にもーそんな大仰に構えたものではない、小さな自己開示もー人とつながるためにする、というところに大切な意味合いがあったのです。「差別と闘う姿勢」というのも嘘ではないけれど、そのためには「一緒に考えていく、行動する仲間とつながっていく」ことが大切で、宣言するのは「つながろう」という呼びかけの意味があるのに、なにか「被差別者が闘うと意思表明する儀式」みたいなとらえ方にずれてしまったために、「宣言がゴール」であるかのような妙な実践を生み出してしまったのではないか…。ほんとうはスタートに立っただけだったのに。

 

現在は「本名宣言」「立場宣言」にフォーカスした実践は減っています。在日朝鮮人・外国人教育の現場でいうと「本名≒民族名」ではない、ミックスルーツや重国籍の子どもたちが増えてきたという事情もあります。そして80年代の形骸化した実践に対する反省も。ただ、その反省を深めて、ではどんな実践が必要なのか? というところの整理、理論化といったことが、まだ足りていないのではないかということを思います。

 

この本の後半は、筆者にとって身近なヨーロッパと中東地域の歴史や現状をふまえた叙述になっていくので、日本だとどうだろうかを考えながら読む必要がありますが、非常に示唆に富むものでした。しばらく手離せない1冊になるような気がします。