わったり☆がったり

왔다 갔다(行ったり来たり)な毎日です(*^_^*)

ジョングクさんのこと

7人それぞれの個性が炸裂して、ワクワクさせられる一方だったソロ活動の日々に、急に冷や水浴びせられたみたいになってしまった、ジョングクさんの「3D」リリース。

 

この記事が経緯や問題点を端的にまとめてくださっています。

(すいません。サムネイル画像にハーロウ氏が出てくるの、無理…)

 

ARMY内部も荒れ模様。

私も。…荒れ模様というか、メンタル削られてるなぁと。じわじわと「あーしんど」が降り積もってます。何がしんどいのか、何が問題なのか、ちょっと吐き出してみようとBlog開ける気になったのも、上の記事が出たので経緯の説明からする必要がなくなったから(説明するのがしんどいですよね…)

まず、私の思うことを順に挙げると、

1.ジョングクさんは当然、ハーロウ氏も「差別してやろう」という意図は毛頭なかっただろうと思う。ただ、2人を含め楽曲制作からリリース、プロモーションには大勢のスタッフがかかわっているはずであり、その中の誰も問題に気づけなかったのか? が大問題だと思っている。

2.ARMYからさまざまな意見が出ているのはいいことだし、このファンダムのそういうところが大好きなのだけれど、「さまざまな意見」のなかに「私は差別だと思わないから差別でない」論法で、批判者を「アンチ」扱いし排撃する動きがあるのはいただけない(日本社会を反映してるなと思うので、いまさらショックは受けないけれど、BTSずっと聴いてきたファンなのに、それ?という疑問はある)

3.「謝罪」ということばが飛び交っているけれど、「謝罪」の中身が言う人ごとにバラバラで、バラバラなままの空中戦になっているのが辛い(これもSNSにありがち)。私は、ジョングクさんに考えてほしいこととハーロウ氏に考えてほしいことと、会社やスタッフに考えてほしいこと、それぞれに違うし、それは一般的に「謝罪」ということばがイメージさせるものとズレているかもしれない、と思っている。

…と、箇条書きのつもりが長くなってしまった(笑)

2016年のミソジニー批判からのBighit「謝罪」声明文やナムジュンが語った思い、2018年の国連スピーチにコロナ禍の#BLM #StopAsianHate への連帯メッセージや寄付行動など、これまでBTSが世界に示し、築いてきた「社会正義」アイデンティティに反する事態になっている。とはいえ、BTS名義ではなくジョングクさん個人名義なので、リーダーはじめ他のメンバーが代わりに何か言うということにはならないだろう。しかし、かといって「あれはジョングク個人の問題でBTSブランディングには関係ない」ということにもならない。なぜならジョングクさんはかけがえのない1/7だから。

これは私が大好きな写真で。BTSのリーダーとしてさまざまな葛藤を乗り越えてきたナムジュンにとって、「僕のヒーローはナムジュニヒョン!」と飛び込んできて、未だに屈託なくそう言い続けて慕ってくれる末っ子・ジョングクさんの存在は、ものすごく支えになっていたんだろう、と思っている。だからナムペンとして、ジョングクさんには他のメンバーに対してとは異なる感情がある。
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2016年に「知らぬうちに内面化していたミソジニーによって、意図せずマイノリティを傷つける歌詞を書いてしまったという現実」に向き合って、よく眠れないほど悩んでいた、その大好きなヒョンのことを、どう思ってたのさ…(悲)と、「3D」リリース直後、実は私は少し怒っていた。「ジョングク! ちょっとここへきて座んなさい!」と正座させて説教したいモードだった(オカンか)。

…でも考えてみたら、当時、ナムジュン22歳、ジョングク19歳、その辺の大学生男子の年代なわけで「なんか先輩大変そう」「だって先輩が差別なんかするわけないじゃん?(めっちゃいい人なのに!)」「そんなに悩まなくても…」とか、問題の本質よりも大好きなヒョンが苦しそうなことにばかり目がいって、そうこうするうちに先輩はあちこちに相談して考えて自分なりに結論を出して「僕はもっといい人になります!」とポジティブに立ち直り、後輩としては「何かわかんないけど元気になって良かった~」「やっぱヒョン最高やんな!」とご機嫌になってお終い、ということも全然あり得る。むしろ、そっちの方がリアリティある(だいたい、その年齢であの批判を受けてあそこまでまじめに考え抜いて勉強するナムジュンがレアなのだよね。だから私はかれが好きなわけでさ…)

なので、最初に書いた1.について、ジョングクさんに関してはあのときのナムジュンの位置にいま立たされていると、気づいてくれたらいいなと思っている。ちょっと違うのは、ジョングクさん自身が書いた歌詞なわけではない点。だから問題のありかと自分自身がどうすればよかったか、今後どうすべきかを探るのに、あのときのナムジュンとは異なる困難があるかもしれない。でも君の大好きなヒョンが、ロールモデルとして傍にいるのだから、がんばれ! と思っている。「自分にそんなつもりがなくても、自分の作品で人を傷つけてしまうことが起きるという現実」を引き受けて、「そこに責任を持つことが大人になるということ」だと、あのときナムジュンは言った。

weverse.io

(このライブ動画、何回見たかわからないぐらい見てしまっていて。差別を指摘されたマジョリティの動揺と葛藤、そして展望をこんなに正直に吐露してくれるなんてさ…)

その後のナムジュンの発言に「1.1人分の大人」という表現があって、いいこと言うなぁと感心したけれど、「自分の言動に責任を持つ」ということの核心をついてますよね。私もそうだけれど、そう言いながらも「そんなつもりで言ったわけでは」と言い訳したくなるのが常で、自分の意図と他者の受け止め方のあいだにある溝、亀裂のようなものに意識が向かず、自分の意図が正確に伝わらないことを自分のせいにしたり相手のせいにしたり、しがち。そうではなく「なぜそうしたズレが起きるのか、その〈生じている現実〉に向き合って考えること」が、0.1人分多めの大人になるってことなのだと私も思う(ナムペンの贔屓目はお許しください)

ジョングクさんも、1人前の大人ではなく、1.1人分の大人をめざしてほしいし、ジョングクさんならなれるよ! と思っている。

ということで改めて、順番に。

1.問題は「目的」ではなく「結果」。加えて「立場性」の問題

ジョングクが作詞したわけではない。ただしジョングク名義でリリースするわけだし、最近判明してきた楽曲制作過程によれば、ハーロウ氏とのコラボはジョングクさんの希望でもあったようなので、やはりできあがってきた歌詞について、そしてその部分のMV演出について、問題点に気づけなかった「不勉強」はジョングクさんの責任。

そしてハーロウ氏も、おそらく悪意はなかったと思うけれど、英語ネイティブの白人シスヘテロ男性っていうのは地球上最強マジョリティなわけで、そこの立場性への自覚や謙虚さを欠いているという点で、ジョングクさんよりはるかに猛省してほしい立場にある。確かに白人男性が自分たちを一方的に名付けた「ABG」ということばを、欧米に暮らすアジア系の若い女性たちが自分の側に取り戻すために「カッコいい私たち=ABG」を標榜する動きはある。同様に、差別的に名付けられた名称を「取り戻す」当事者運動はセクシュアルマイノリティや障害者や、さまざまなマイノリティが行ってきたし、いまも行われている。でも、その運動が積み上げられて、社会的に誰しもがそこに差別を見出さない、マイノリティのアイデンティティを示すだけの「名称」扱いになるには時間がかかる。ハーロウ氏が慣れ親しんでいるであろうアメリカのラッパー達の世界でも、黒人ラッパーが自らをNワードで自称することはあっても、白人ラッパーがそのことばを安易に使うのはダメだろう。ハーロウ氏がそれに関して「そりゃ、自分は白人ラッパーだからNワードには慎重だよ」という認知をできる人なのであれば、ABGだって同様なのだ。そこを「同様のこと」と気づけなかった、要はアジア系に対する差別、そこに女性であることが重なって起きる「アジア系女性に対する見下しと性的搾取の眼差し」の現実に疎過ぎた、という問題だ。英語ネイティブではなくアメリカ社会のマジョリティという立ち位置でもないジョングクさんとは反省すべき次元が異なる。さらにいえば、アジア系であるジョングクさんとのコラボなのに、なぜそこに神経質になれないのか、ハーロウ氏はじめアメリカ側のスタッフの全員を問いただしたいところだよ…。

そしてこの過程にパン・シヒョク議長も噛んでたらしいじゃないですか(怒)名誉白人気取りかよ。女を踏んででもアメリカ様に認めてほしいのかよ(怒)…と、歌手2人に対してとはまったく別種の憤りで、ある意味今回最もムカつくのはおまえだよ!ってなってますが、今日はこれぐらいにしといたろ…。

(10/24追記:「名誉白人」というのを、今どきの若い人は知らないかもしれない…とTwiter/Xを眺めていてハッとさせられたので、最後にこの表現について書き足しました)

2.差別は解釈/お気持ちの問題ではない

2016年に起きた問題を知って、詳細を調べたとき、正直に言うと「え? この程度の歌詞で?」と私も思った。「女は最高のプレゼント」とかイキッタ男子の戯言だし(あの時期のバンタンにはそういう雰囲気もあったし…ゆえに当時の私は防弾少年団をスルーした……)、「JOKE」の歌詞も下品だけどラップの音遊び面もあるしなぁ…「コンバースロウは履かないで」に至っては、私も高校生のとき赤いハイカットのコンバースが最高におしゃれだと思ってたよなーとか(苦笑)。要は社会にはびこる「女性をモノ扱いする眼差し」や「俺好みの女であれ」という呪いを吐いて平気な男にも慣れきっていて、感覚がマヒしていた。だからこそ、そりゃ困惑しただろうな…とちょっと同情すらしてしまい、その当時の韓国#metooの勢いを思い出して、よくぞこの批判に耳を傾けてまともに向き合ってくれたよな…と感心してしまったのだった(沼落ち加速)。その後の韓国社会でのアンチ・フェミなバックラッシュの凄まじさから考えても、背を向けてマッチョ・ホモソーシャルに迎合する道もあったはずなのに、かれらはそうしなかった。ただ、メンバーたちは(特にラプラの3人)はまじめに向き合ったにせよ、会社は情勢を読んだ故だったんだろうなとは思っている。女性ファンが多く、そこを無視すればビジネスが成り立たない、#metooの勢いがどこまで行くかわからないなかで、下手を打ったら総スカン食って終わってしまうかも、という状況判断が、ことに誠実に向き合わざるを得ないと思わせ、あの声明文につながったのだろうなと(だから、社会がどうあるのかって大事なことなのだ。個人の人間性のおかげだけではなく、韓国#metooBTSを育てたのだと私は思う)

ちなみに、当時の声明文

 Big Hitエンターテインメントと防弾少年団は、2015年末から防弾少年団の歌詞をめぐり、女性嫌悪に関する議論がなされていることを知り、歌詞を再検討した結果、内容の一部が創作意図とは異なり、女性を侮辱していると誤解される可能性があり、そのために多くの方々を不快にさせる可能性があると判断しました。
(中略)
 Big Hitエンターテインメントと防弾少年団のメンバー全員は、防弾少年団の歌詞とSNSのコンテンツのせいで不快にさせてしまった方々とファンのみなさんに対し、心より深くお詫び申し上げます。このような指摘事項と問題点を、今後創作活動を行う上で持続的に参考にし、注意していきたいと思います。
 今回、内部での検討と議論を通じて、音楽の創作活動は個人の成長過程や経験、そして社会で見て学んだものの影響を受けるものであるため、どのような社会の偏見や過ちからも自由ではないことを学びました。
 また、社会において女性の役割や価値を男性的な観点から定義することも望ましくないと気付きました。
防弾少年団は大衆文化のトレンドを生み出すアイドルグループの一員として、メンバーたちの発言や行動などが多くの人と社会に大きな影響を与えかねないと認識しております。
 また、Big Hitエンターテインメントは防弾少年団のコンテンツ制作において、より慎重でなかったことや、多くの方々にご心配をおかけしたことについて大きな責任を痛感しております。
 今後も引き続き、防弾少年団の成長を見守ってください。未熟な部分について指摘していただければ、さらに努力する姿勢でファンと社会の助言に耳を傾けていきます。
みなさんの応援と激励にいつも感謝しております。      

…この主旨に従うならば、「3D」への批判に対応して当然なんだがな? ビッヒさん…

この声明が出色なのは、中盤に示された「音楽の創作活動は個人の成長過程や経験、そして社会で見て学んだものの影響を受けるものであるため、どのような社会の偏見や過ちからも自由ではない」「社会において女性の役割や価値を男性的な観点から定義することも望ましくない」という形で、問題は差別的な意図が個人にあったかどうかではなく、社会の一員として差別の影響を受けるのだからそこから自由になるためには意志的に学び、既存の価値観を疑い、その都度自分で考えてみるしかないのだと言明した点で。情勢を読んでの行動だったにせよ、決して当座しのぎのごまかしではない、フェミニズムや差別研究の知見をふまえたものを出してるよな…と評価できる。これまで、やらかして謝罪文出した個人や企業や政治家や…は数あれど、このクオリティのものは稀有だと思う。

なのに! いま! なぜ!? と思うわけですよ?パン議長…(怒)

差別は人を傷つけるものだけれど、「傷ついた!」と訴える人がいるから差別なのではなく、社会の現実として「差別がある」のだ。そのなかで傷つく、傷つきに気づけた人が訴えの声をあげる。「差別がある」社会のなかで感覚がマヒする、「その程度のことでいちいち傷ついていられないし」と鈍感に生きることをサバイブのために選択して生きる人たちは、自覚的には「傷つかない」のだ。でもそれは自覚されないだけで、その人の魂を深いところで少しずつ抉っていく。容姿を評価され、品定めされ、従順であることをよしとされ、能力や個性を正当に評価されない。そんな日々のなかで、自分を愛せなくなる。

そんな現実に抗う魔法のことば「Love Myself」を言ってくれたのがかれらだった。まず自分を愛そう。他人の視線とか評価とか、そんなものから離れて、自分自身の喜怒哀楽、何が好きでどんなことにときめく人なのか、あなたのことを教えて…と。2016年を乗り越えたかれらのことばだったから、胸に響いて、みんなBTSが好きなったんじゃないのかな(私の沼落ち一歩目は2018年スピーチ、2歩目は「Life goes on」です)

3.「謝罪」について

これは前にもどこかに書いたかもしれないけれど、差別したことについての「謝罪」というのは、3つの要素が必要だと私は思っていて、

A:被害の事実を確定し責任の所在を明確にする(謝罪)

B:被害によって毀損されたものを回復させる(賠償)

C:問題点を明らかにし再発防止の策を打つ(教育)

これは、戦後補償の3原則と呼ばれる考え方に倣ったもので、こうした点を明らかにしないまま、とにかく「何かわかんないけど傷つけたんだったらごめんなさい」というのは最悪だと常々思っている(日本はその手のものを「謝罪」と呼んで憚らない人が多すぎる)。個人の友だち関係のなかで「いまのなんか嫌やったわ!傷つくわ!」と言われて、「え、そうなん? 何かごめん」と謝ってから「ところで、何がアカンの…?」と対話が始まるのは全然いいと思っているけれど。

Aはつまり、自分がやらかしたこと相応の責任を、相応の人の口からハッキリと「私のこの点がダメだったとわかった」と言ってもらうこと。これが大事なのは、被害者には何の責任も落ち度もないこと、ましてや「傷ついた人が繊細だから悪い」わけではないことを明示するため。言った奴が悪い。やらかした奴が悪い。その「やらかし」がダメなんだとはっきりさせることがポイント。

Bは、Aの認識を受けて、具体的にその被害がどれほどのものかをきちんと調べ、毀損されたものを回復させる、いわば「傷つける前の状態に原状復帰させる」こと。物的な損失はお金なり物なりで埋め直せるとして、心情の傷は難しい(「慰謝料」は便宜的にあるけども)。※この点について、日系人強制収容問題の被害補償の法律ができたとき(1988年)レーガン大統領(当時)がスピーチで、「賠償金は、実際に被害の埋め合わせには到底足りない額だし、本来金銭での埋め合わせができるわけでもないのだが、日系人市民を不当な目に遭わせ名誉を棄損した合衆国の過ちを認め、その責任においてみなさんの名誉を回復する、その象徴として賠償金を支払わせてほしい」とおっしゃっていて、レーガン嫌いだったけどいいことも言うな…と思ったのだった。

大事なのは謝罪も賠償も「やらかした者の責任を示すため」の行為なので、その謝罪を受け入れるかどうかは受ける側の自由だということ。「責任を認めて賠償してくれるのも有難いけど、到底許す気にはなれない」という心情になる人だっていて当然だし、そういう人に「謝ってるんだから許してやれ」というのは間違っているし、そもそも許してもらうために謝罪するんじゃないんだよ、ということ(ゆえに私は「3D」の件も、「アジア系女性に謝れ」的な論調にはちょっと与しづらい。そういうロジックで行くとアジア系女性が「別にいいよ、気にしてないし」とか言っちゃうだけで問題が終わってしまうよね? 問題はそこではなく、現状にある差別を追認し強化するのか、そういう現状をよしとしない、変えていこう!という方向に進むのか、態度の選択だと思うから)。

そこで重要なのがC。心情として「謝られましても…」となるぐらい深く傷ついた人の存在を肯定し、いま許してもらえないことを受けとめるなら、大事なのは再発防止。そして再発を防止する仕組みをつくったり、再発しないための教育や啓発に力を入れることことが、差別を肯定し助長する行為を減らし、少しでも良い世界に近づくために必要な、未来のための行動だから。いま許してもらえなくても、その努力を続けることで、未来のどこかで許してもらえる日がくるかもしれない(てか謝ったのにすぐ同じこと繰り返したら「あの謝罪はなんやったん?」ってなるよね?)だから、未来のための行動を考え、実行すること。先に引用した声明文とともに、当時ナムギが「ジェンダーの研修受けた」とか「歌詞を専門家に見てもらう」とかいう話をしていた、まさに再発防止の取り組みだよ…。

ってことで、2016年の声明は完璧なんだよね…

ゆえに私は、ジョングクさん的には、自分の名義での楽曲だったということで、それに相応する責任を明確にし、今後どうしていこうと思うかを言ってくれれば十分だと思っています(会社は違うぞ!)。ハーロウ氏も20代、ラッパーさんだし#BLMには共感していたらしいので、その学びをアジア系差別や女性差別の問題にも敷衍して、もっとカッコいいラッパーをめざしてくれたらいいと思っています(会社は違うぞ!)

youtu.be

この曲について「なんでこんな詩が書けるの!?ホントにナムジュニヒョンは天才だよね!すごいよね!」とニッコニコで語っていたジョングクさんを、私は信頼しています。

地に足がつかないとき

あなたの心があなたを見下すとき

夢が僕をのみ込んでしまうとき

僕が僕でなくなってしまうとき

そのすべてのとき

・・・

信じていたものがすっかり遠ざかってしまったとき

この すべての名誉が もはや頸木にしかならないとき

この欲深い心を どうか鎮められますように

どんなことがあっても

あぁどうか、僕を僕のままでいさせてください

痛切な叫びのような歌。

でも「僕は荒涼とした野原であっても、きっとここに戻ってこよう」という宣言で終わるこの曲を、ここ数日、何度も聴いてしまっている。

いま、少し迷走しているかもしれない(迷走させた大人! おまえらは許さんぞ!)

けど、BTSという7人で育ててきたプラットフォームがある。ジョングクさんも、そこに必ず戻ってくる。他の6人も。「あれはイケてなかった。ダサかったよね」という「謝罪」は、再結集したそのときになるかもしれない。私はそれでもいいかなと思っている。個人の、ソロ活動だから、ジョングクさんが考えて対処しなければならないし、ヒョンたちに思うところはいろいろあっても、そしてアドバイスはしたとしても、決めるのはジョングクさんだから。ジョングクさんが口を開くまで、おそらくみんな黙っていると思う(沈黙していることに対してどうこう言う人もいるけど、代わりに何か言うなんてことをしたら、それこそバンタンらしくない…と私は思う。違うかな?)

いまは、第2章で、大きなLearningEdgeに立っているんだと思う。

応援してるよ! ファイティン!

 

追記)「名誉白人」について
南アフリカに、未だアパルトヘイト(人種隔離政策)があった頃、南アフリカで日本人は差別される側の有色人種のはずなのに「名誉白人」という差別されない枠に入れられたことがありました。経済的な関係などもあって、黄色いけどまぁ白い人と同じ扱いしてやるよってことで「名誉白人」。要はマジョリティによって差別構造の上部にガッツリ組み込まれたってことです。
当時(80年代以前)の南アフリカに暮らしていた日本人のすべてがそれを良しとは思っていなかったと思うけれど、日本政府はそのことに抗議はしなかったし、なんなら「日本はアジアの優等生だから」の脱亜入欧意識そのままに「名誉なこと」として受け入れていたんですよね。それが国際世論が「アパルトヘイト反対!」に俄然大きく舵を切り、非難の声が高まっていく中で、日本での反アパルトヘイト運動にかかわる市民から「こんな称号を黙って受入れてたらダメでしょう?」と南アフリカに駐在する日本政府や日本企業の関係者をはじめ、現地在留日本人の人たちに「そんなもの返上して反アパルトヘイトの声をあげよう!」とラブコールを一生懸命送る…ということがあったのです。いまでは美味しくいただいているアップルタイザーの不買運動とかも懐かしい…と、そんな運動の端っこに私はいました。
運動は実を結んで、長年収監されていたネルソン・マンデラ氏が釈放され、アパルトヘイト撤廃の訴えに連帯してくれた世界のみなさんにあいさつを、ということで日本にも来られ、その集会に行って「コシシケレレリアフリカ」を一緒に歌ったのも思い出(そして大統領になるマンデラ氏については、映画『インビクタス』がオススメです。そして今年のワールドカップ、その映画のときと同じ決勝カード/ニュージーランドvs南アフリカになったので、ラグビーファンでもある私は胸熱…)

なので「名誉白人」ということばは、白人を頂点とした差別構造/アパルトヘイトにおいて、権力のある白人様が認めたやつらは権力側/差別する側に組み入れてやろうというどうしょうもないシステムを象徴したものです。抑圧される側からすれば、抑圧する側に回ったな、あいつら…とみえるし(実際「黒人・有色人種」が締め出される店に入れたり、座れない席に座れたりできるようになってたわけですが)、とはいえ、真に権力を得たのかといえばそうではない。あくまで社会的に権力をもつのは白人で、その権力に認めてもらえた例外でしかなく、権力者の気まぐれで「やっぱやめる」と取り上げられたらそれで終わり。マイノリティなのに、マイノリティを分断するために利用されていただけです。そんな状態を象徴することばとして、本文中、パン・シヒョク議長に向けて使用しました。現在のアメリカにはアパルトヘイトのような明示された差別的制度はないけれど、白人を頂点にした抑圧の構造は相変わらず存在している。「ABG」もその構造ゆえに問題になる表現なのに、アジア人なのに、そこに気づけないのか…という憤りも込めて使いました。

 

よく、差別の説明をするときに「自分では変えようがない属性を理由に不公正な対応をされること」と言ったりしますよね。マイノリティ属性に生まれることは、その人の選択でない。それは反転してマジョリティ属性にもいえるわけで、差別がある社会のなかでマジョリティ属性に生まれることは、踏みたくないのに「足を踏む側」に生まれさせられている、と考えることもできると私は思うんですよね…。差別されることはもちろん理不尽だけど、うっかりすると差別に加担してしまう立場も、選択して選べるものではないのにそれを考えなければいけない、メンドクサイな…ということは、差別を受ける人が背負わされる理不尽の裏側にある理不尽。だから、引き受けて考えるべきだと私は思っています(マイノリティ側は背負いたくなくても背負わざるを得ない。マジョリティ側は逃亡可能。この不均衡さに後ろめたさを感じて謙虚になるぐらいでちょうどいい…)

とは言いながら、自身の選択であったとしても差別される謂れはない。どんな人にも差別されない権利があります。それは同時に、どんな差別であっても許さないという義務を負うことだと私は思っています。勘違いされがちだけれど、この世界には「差別をする人と差別をしない人」がいるわけではなくて、「差別を許し追認してしまう人と、差別を許さず状況を変えようとする人」とがいるのです。自分自身がうっかり差別に加担したとき、そのことも許さずに対応できるか否か。BTSの7人には、そこを理解して「許さない人」であってほしいと願っています。

SVP韓国教育視察ツアー 番外編

さてさて。

3日目午後はフリータイム…で、植民地歴史博物館が計画に入ってると聞いて、既に3回ぐらい行ってしまった私はどうするかな…と、私が激押ししたせいで前乗りして行ってしまった参加者の方と話していたら、また他の参加者の方から「ナビ文化祭がある」という情報が! なんて巡りあわせだ~行く行く行っちゃう! そして植民地歴史博物館も特別展で「関東大震災100年」をやっているというではないですか・・・。ならそれだけ見て、途中離脱してナビ文化祭にしよう!ってことで(笑) 当初はナムジュンが行ってた美術館を2つほどチェックしてたのですが、まぁそれは今度でもいいかーってなりました。個人的には、ナムジュンにもこちらの博物館は来てほしいなぁ・・・(韓国の人には今さら感なのかもしれないし、こういうとこに来たとしてもそれを発信したらまたぞろ「反日アイドルがどうこう」とネトウヨにガソリン注いでしまうから発信しないだろうなと思いつつ)

植民地歴史博物館(淑大入口駅から徒歩10分ぐらい)f:id:jihyang_tomo:20230819112940j:image

新宿・大久保にある高麗博物館との連携展示ということでした。そっちも行きたいなぁと思ってたので、ちょうど良かった・・・(とはいえ、「絵巻」実物は高麗博物館にあるから、やっぱ東京も行きたいぞ・・・)

当時、報道規制もあったけど、生き延びて朝鮮に戻ったこの人たちによって東京の状況が伝わった…という記事。でもすぐに回収されて黒塗りされたらしい。
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展示のテーマが「記憶し続ける責任」ということで。↑の詩を訳してみました。

私は死んだ

大地が震えた
家が倒壊した
前が真っ暗になった
炎が突きあがった
めちゃくちゃに駆けた
つかんだ手を離してしまった
私が踏みしめたものは 大地だったのか人間だったのか
生きるために来た道を
生きるために逃げてきてしまった

少しずつ 視界が開け始めた
絶叫が聞こえた
生き地獄だった
火の地獄だった
私は独りぼっちだった
喚きたてる人びとのあいだから
どこへ向かおうとしてか、歩き出す人びととともに
私は歩いた
なるたけ遠くへ抜け出そうと
あてどもなく歩いた

かれらが私に尋ねた
朝鮮人か、と
そして私は死んだ
権力者の偽の煽動が私を突き刺した
軍と警察が私を殺した
蔑視と憎悪が私をのみ込んだ
かれらは名もない私を埋めた

私を虐殺した者たちは
だれも咎めを受けはしなかった
虐殺に同調した者たちは
忘却の中へ私をかき消した

私を虐殺した者たちは
恐怖と一つになった
未だに私という恐怖を振り落とそうとして
また別の私を探している
死んだ私をずっと虐殺し続けている
今日も私は死んだ

酷い歴史だからこそ、記憶し続けなければならない。
二度と繰り返すことがないように。

rekishimuseum.jimdofree.com

 

そして、誘ってくださった方とともに清渓川へ!

https://womenandwar.net/kr/notice/?uid=1863&mod=document&pageid=1

너비문화제(ナビ文化祭)

ナビは蝶々のことで、解放後も帰国できなかった人たちや戦地で命を落とした人たちまで含めて、被害者の魂のシンボルになっています。なので、蝶々のモチーフがあちこちに。実は近年バックラッシュ/ヘイターによる嫌がらせが過激化していて、平和像のある安国ではこういう集会が開けないとのこと・・・(ヘイターに中指たてちゃうぜ。ムカつくー!)この日も周囲に警備の警察官がウロウロしていたけど、ヘイターは来ませんでした。ちょっとホッとした。観光地ど真ん中だったからかな・・・?)

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こういうパネルがずらっと並んでいました。みなさん、もう亡くなられてしまった。亡くなる前に謝罪1つさせられなかった不甲斐なさで泣けてきてしまった…。

まったく、いったい何を怖れるんだろう。やらかしたことは事実なんだから、そこから始めるしかないじゃないか・・・と思う。と同時に、さも過去の問題かのように片付けようとしているけれど、実際には現在の日本社会の性暴力の問題と地続きで、これを反省できないしまともに向き合おうとしない日本政府と日本社会が性暴力の問題に向き合えるわけないんだよなと怒りを新たにしました。勇気を出して声をあげてくださった、そして世界中の戦時性暴力被害者に思いを馳せて、エンパワメントへの助力を惜しまなかった人生の先輩たちに、改めて深く敬意を表したい。そしてこの人たちに恥じない生き方がしたいと思いました。
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#歴史不正勢力に処罰を 「日本軍性奴隷被害者に対する嫌悪を止めろ!」

プログラムは、歌あり、劇あり、ダンスあり・・・で、元気ももらいました。まさに文化祭! (久しぶりに一緒に踊ってしまった~)

終了後、ものすごい手際の良さで、10分ぐらいで撤収(ビックリ!)されたのですが、その最中に「この人たち日本から来たんですよ!」とスタッフさんに話したら、正義連代表のイ・ナヨンさんが来てくださって、記念撮影。私たちはつながれる!

そして「今度来るときは『戦争と女性の人権博物館』にも来てね~事前にメールしてくださったら、案内しますからね~」と嬉しいお言葉もいただきました。

womenandwarmuseum.net

この博物館へは昨年伺いましたが、ここも超オススメ。何度でも行きたい。

 

さてさて。この後は鐘閣駅近くのMUJIでお買い物。韓国パンチャンのレトルトがたくさんあって、自宅用にあれこれ買っちゃいました。結局今回のおみやげは、こことコンビニで(最近、コリアタウン行くまでもなく近所のスーパーで買えちゃったりするので、何をおみやげにしたものかなかなか悩ましいんですよね・・・。MUJIオススメかも)

写真は駅前にいた全奉準(東学農民戦争の指導者ですね・・・。めっちゃイケメン)
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おみやげ用~。このおかずシリーズ、いいでしょ?(3個で割引だったし)
「レモンジン」はシュチタでホビたんが飲んでたから(笑)コンビニでゲット! 爽やかすぎる飲み口で、これは飲み過ぎてヤバいやつでは・・・って味でした。ジュースだと言われたら信じそう(アルコール嫌な人は気づけると思うけど・・・)

ってことで、またぞろプチ推し活もちゃんとやってたのでした(笑)

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そして、他のみなさんとも合流して肉! ユッケも食べましたよん。めっちゃ旨かった・・・。
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これは番外編ってことで、その他、食べたもの記録。

着いた日に、空港で小腹がさ・・・と久しぶりにロッテリアに入ってみました。なんだかお洒落さんな店内。ロッテリア10数年ぶりかもしれん・・・。
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と、韓牛バーガー!(これが想定以上のボリュームで、小腹どころではなかった・・・)韓国って、なんでもサイズが大きい気がするんだよね。大柄な人確かに多いけど、小柄な人も多いのにさ・・・? なぜだろう? 焼き印は可愛い。
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そしてこれはツアーの集合前に食べたナッチビビンバ。旨かったー。仁川空港第一ターミナルの地下です。「伝統食堂」って書いてあって、韓国食しかなく・・・・・・そして空港内なのに韓国語しか聞こえてこなくて、あれ?って感じでした。注文は各テーブルでタブレット、猫ちゃんのロボットが配膳・・・という近未来的な新しい店舗でした。
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そしてこちらは、ホテル近くのパリバケット(チェーンのパン屋さん)。4日目にしてようやく朝ごはん食べる気になり(笑)パンを買いに行ったときにケーキが可愛かったので。
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そして、帰りの仁川空港に向かっているときにようやく出くわしたバンタン広告! 去年は街中でジョングクにめっちゃ襲われたのに(センイル広告の時期だったせいもあるけど)、今年はほとんど出くわさず・・・。でもソウル駅にこの自販機が何台も等間隔に並んでました(笑)日本のコリアタウン周辺の方がバンタン広告溢れてる気がする・・・。まぁ、もはやかれらはベテランさんで、若手アイドルにこういうのは明け渡さないとって位置なんだろうなとは思います。
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韓国教育視察ツアー4

楽しかったツアーも最終日。そして最終日はこちら!

PeaceMOMO 피스모모

모두가 모두로부터 배우다 (みんながみんなから学ぶ)から「モモ」
そしてミヒャエル・エンデの『モモ』の主人公から「モモ」 を名乗る平和教育の団体で、2017年にもここでワークショップを体験させてもらって、もう目から鱗が落ちまくったので、「受けたい受けたいまた受けたい!」と念願かなって6年ぶり!

何の鱗が落ちるって、「平和教育って身体でできるんだ…」という驚き。

平和教育といえば、戦争被害の語りを聴く…が定型化し、それゆえ「語り部の高齢化」で「ではどうやって体験を継承するのか?」とどこでもここでも悩んでおられることは承知していますが、そもそも語り部さんに依存しすぎてただろ…と思う。語り部依存問題というのか、被害にせよ加害にせよ体験の語りを聴く、記録することが重要なのは否定しないけれど、それを聴いて素朴に「戦争っていいこと一つもないなぁ、嫌だなぁ」という気もちを得て、その後どうする? が大事なのに、その後が続かない平和教育が多過ぎやしませんでしたか・・・。私は高校生頃からそこにめっちゃ葛藤があって、高校生平和委員会(で合ってたかな。名称うろ覚え)なんかで活動する友だちを横目にモヤッていて、反差別の運動を一回くぐってヒロシマの、それも在日コリアン被爆者の方に会うことを通して「日常の差別をなくしていくことが平和の根っこなんだ」と確信してスッキリ!という経歴があるので、平和教育については専門ではないけれどずっと何かしら引っかかってはいたんですよね。そのあたりが、MOMOと出会ったことでよりクリアになったし、何よりも体感的に「この感覚を探って大切にすることで平和を生み出せるんじゃないか」とつかめたことが目から鱗だったわけです。

前置きが長い・・・(笑)

momotepi.org

私はFBページもフォローしているのですが、折々に出される声明やメッセージにホントに勇気づけられてもいます(韓国語もしくは英語なので、がんばって読まねばならないのですが、がんばって読もうと思えるので 笑)

会場に着いたら、既にこんなカラフルカードでお出迎え。もうワクワクがとまりません。f:id:jihyang_tomo:20230819112645j:image

カードには、感情や心身の状態を表現する単語が書いてあります。まず、「いまの自分にフィットするカードを1枚選ぶ」から(意味がわからなければ、色で選んでよし!っていうのも素敵)

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私はこれにしました。ここまでの4日間「つながり」も増えたし実感したし、もっとつながりたい欲も出たし(笑)そしてこのピンク色の元気な感じもグッド(誰だよ、昨日の朝、しんどいなとか思ってたの…笑)

ワークショップの約束。「쉬어도 괜찮아:休んでもOK」「보이지 않는 실 찾기:みえない糸を探すこと」「사소해도 괜찮아:小さなこと(気づき・意見・気になることetc)でもOK」
この教具、いいですよね。ほしくてたまらないんだけど、韓国語だからそのままでは使えない、かといって日本語版になるとこのハングルフォントの可愛さがなくなるやーん!という葛藤・・・でも欲しくなるよなぁ(物欲が深い)
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今回は上の3つが約束でしたが、他にも「달라도 괜찮아:違ってOK」ってのもあります。「ケンチャナ」最高・・・。そして、途中で「話し合うコツ」として「좋아좋아(いいね!と肯定し合おう)」「서로서로(お互いに話して聴こう)」「괜찮아(うまく話せなくてもだいじょうぶ)」というカードも追加されました。よきよき・・・。

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ワークの詳細は書きませんが(内緒)、6年前もやった同じワークをやったのに、起きることが全然違うし、私自身の感じ方も感じることも全然違うくて、奥が深すぎる! ファシリテーターの方の腕でもあると思う(そしてワークの内容をきちんと理解している通訳さんの腕もある)けれど、「~をどう感じましたか?」等々の間に挟まれる問いかけと、参加者が発することばを拾ってつなげていくセンスとスキルが素晴らしすぎる。MOMOはふだん、こういうワークショップを運営しつつ、ファシリテーター養成に力を入れていて、いかにファシリテーターを増やすかというのもミッションにしてるんですよね。だから夏休みなどに教員向けのファシリテーター研修プログラムなんかもやっていて、その広報をみるたび、そこに参加してだいじょうぶな韓国語力を早く身につけたい!と思うのですよ……。ホントに素敵。

感じたことを、とにかく語りたくなる。

そして、語るうちに自分の深いところにある引っ掛かりや傷を発見して、「あぁ、ここに私の囚われがあるのか」と考える。ここなら言ってもだいじょうぶという安心感があるからだろうけれど、だれかがそれを語りだすことで連鎖反応的に自分を自分で抱きしめたい感覚と、この感覚で人と連帯したい欲求が沸いてくる(・・・そう、私が最初に選んだカードは「つながり」だったよ!)。

そういう場になるためには、前提として場の安心づくりが必要で、それが丁寧に成されているからこそのワークショップのダイナミズム。われとわが身を省みて、自分のふだんの雑さも反省(この反省が夏休み後半の研修の場で生きるだろうか・・・がんばろ)

 

心なしか、ワークショップ終了して、ツアーも終了して、みなさんのお顔が晴れやか!(って言いつつ、この集合写真は全部が終わる前に撮ったんだけど 笑。それもこれも台風のせい・・・)

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楽しかった…。もう帰って1週間経とうとしていますが、行って良かったです。こういう自己投資は大事だな。BTS話にもおつきあいいただいた参加者のみなさま、ありがとうございました! そしてこういうつながりの場をつくってくれた企画運営のお二人、お疲れさまでした! そして、機会があればぜひ参加してほしいです。SVPのSNSアカウント各種あるので、登録してみてくださいねー。

school-voice-pj.org

ちなみに私はマンスリーサポーターをしています。現職教員ではないけれど、私のミッションは「学校の先生たち/子どもにかかわる大人の応援」なので。ここにつながっている先生たちと、韓国の先生たちがつながるといいなぁ…。

今回のツアーの広報は、SVPの活動の一つであるこちらに詳細が掲載されたんだったと思います(私は直接教えてもらっての参加でしたが、検索していて巡り合ってえいやっと参加した!という方も多かったです。ネットはそういうことに使いたいものですね・・・)

megaphone.school-voice-pj.org

と言いつつ。次は推し活だけに集中したい!という欲望も沸いてきたので韓国語の勉強がんばります。あは!

SVP韓国教育視察ツアー3

さてさて。
今回のツアーはSVP(スクール・ボイス・プロジェクト)主催なのですが、中の人は旧知の、そしてその主催ツアーは過去にも行ったことがあって、わかって参加してるはずがコロナ禍での家籠り生活&その間に年齢も重ねた故か(?)

「あー、そやった。このツアーはこうなるんやった…」

としみじみ脳ミソも身体もお疲れ気味になって、いつまでも行けると思うな(ハードモード)海外旅行・・・と自戒しつつ始まった3日目(笑)

 

8月13日午前:実践教育教師の会/現場の先生と交流

실천교육교사모임 …「実践教育教師」は漢字語ですが、「모임(あつまり)」は固有語で、「会」じゃないとこが好きだなぁと思いました(個人の好みです)

www.koreateachers.org

いま、上のWebサイトあけると、トップに菊の花(7.18.に亡くなった先生への追悼)が出てきます。「紹介」の最初に「実践を通して変化をつくります」とあって、それだけで共感度大。教師は実践してナンボですよね!

お話してくださったのはお二人とも小学校の先生(ソウルではなく、他市の公立)下の写真は、そのご著書で9刷とかになっているものも。信頼の厚い実践家なんだなぁと思いました。(「声かけ」「発問」等など含めて「말공부(ことばの勉強)」と表現するんだなぁ、この表現も好きだなぁと思うのでした)

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さて。

初日の全教組でも伺った「教権」問題…。

そもそもこの実践教師の集まりも「外部からの要請ではなく現場のNeedsから、学校現場・教育をより良いものに変えていきたい」という思いで始まったそうで…。

日本でも、教育/学校に対して外野が好きなことを言い、政治家が中途半端に手を突っ込んで現場がふりまわされる現象は珍しくないわけですが、韓国はそれがさらに厄介な話になっているのだということがここでようやく納得できました。

まず、法律の問題。

*学校暴力予防法
本来は「いじめ防止」がねらいで、小学生~高校生までの学生が規制対象。ただこれが拡大解釈というのか「子どもが被害者/加害者になった暴力沙汰は全部対象」かつ学校外で起きたことまで学校が調査し指導しなければならない?ということになっていて、教員の業務負担を増大させてしまっていると。

児童虐待防止法
文字通り、子どもを虐待から守るための法律なのですが、被害申告があった場合に「有無を言わさず調査する」規定があり(そもそもは被害申告する子どもの方が立場が弱いから保護するためのはずですが…)、そのために「教員から虐待された」と申告があると即座に現場から離されてしまう運用になっているらしい(いきなり懲罰?みたいな)。そして、そういう仕組みを知った一部の保護者や学生が「気に入らない教員を訴える」道具として悪用することが広がっているらしい…。

具体的にどんな困ったことになるかというと、子ども同士の喧嘩(暴力沙汰)や明らかな授業妨害行為が起きる→「学校暴力防止法」観点からいえば教員は指導責任があるので状況を把握・記録して指導を考える必要がある→とはいえ、直接介入(暴力を制止)した行為を「教員に暴力を振るわれた!」と訴えられるリスクがあるので介入しづらい→結果、その場をスマホで動画撮影して記録に残したうえで、事後対処するしかない……。

しんどすぎる。

だから指導に苦慮してメンタルをやられる教員が続出しているのに、管理職は守ってくれないし、まわりに話しても「しんどいのはみんな同じ」とスルーされるし…という状況が広がっていて、そこに7.18.のできごとが起きたから、「他人事じゃない」という共感が広がっているのだということでした。

(ちなみに亡くなった先生も、そもそもは2年生の子ども同士の諍いの仲裁を巡って加害児童側の保護者が「指導のやり方がおかしい」とクレームを入れたのが始まりで、ずっと直接その先生の電話にクレームと人格攻撃が入り続けたのだそう。そもそも管理職何してんの? と思うし、なんで担任個人の電話番号でやり取りさせるのよ!と思うけど、韓国ではありがちらしく(!?)担任が保護者の声を聞くのは良いことだ電話番号を教えることを奨励する管理職の方が多いらしい……。さすがにそこは日本がマシかなと思ってしまったけど、日本も管理職や委員会が引き受けずに担任に押し付けて担任が疲弊する問題はあるからな…と思いなおしました。50歩100歩だ)

支援教育(インクルーシブ教育)についてのお話も、権利保障のための法的整備はありつつも、じゃぁ実際に教室に受け入れて「ともに学ぶ」ってどうすることなの?のところで知識やスキルのある教員が圧倒的に足りていないんだな…ということを感じました。当然、管理職も「無知」。まぁ日本もヨソのことは言えませんが…(最近、大阪のフツーは日本の非常識だったのだなと実感させられることが多い。そして「大阪のフツー」と言いつつ、そのフツーがまかり通っている地域は限定的で偏りがあるのも現実)。特性のある子どもに対する理解がない、子ども同士の関係性を育む指導が追いつかないことが教室内のトラブルの原因になっている面もあり、トラブると上記のような展開になるので、いまのままでは現場の先生たちが「どうすればいいのかわからず孤立する」「統合なんていらない、分離教育すべきという意見が広がる」ばかりになる…というお話は切実でした…。

そんなこんなで、いま韓国社会で教育を巡ってホットイシューになっているのが「教権侵害」で、7.18.を受けて教員団体6つが共同声明を出しています。そこでの要求は4つ。
1.生活指導権限の保障(分別のない告発の防止)
2.授業妨害する学生を制止する権限の保障
3.教員個人の携帯電話にクレームを入れない仕組みづくり(管理職対応の徹底)
4.特別支援教育の充実

なんとささやかな要求…(涙)

ここまで聞いて、ようやく問題の解像度が上がっていろいろと納得したと同時に、この先生たちと日本の先生たちがつながるといいなぁと。

すごく印象的で、そのとおり!と思ったのが、「いろいろな問題があるけれど、背景にあるものを一言でいえば『関係性の断絶』だと思います」ということばでした。

もっと背景にあるのは、韓国社会の格差と、格差ゆえの競争主義。そこで起きる未成年の事件(暴力行為含め)に対して社会の目が厳しいせいもあるが、いまの法律運用はとにかく「処罰中心」で教育的ではない。だれが加害者か、被害者かという仕分けにばかり注意が向いてしまうし、子どもたちもそんなふうにしか事象をとらえない。子どもにせよ大人にせよ、行き違いや諍いは「起きるもの」であって、そこからどう仲直りしていくか、どう関係性を構築するかの方がよほど大切で、教育が力を発揮するのはそこだと思うのに、教員がそこに力を割けない、力を発揮しづらい環境になってしまっているのが問題だ
ーというとらえ方に本当に本当に共感! また、
暴力に走る子どもは、必要なケアが足りていない子どもなわけで、学校にせよ社会にせよ、ケアが不足している子どもたちを支えるシステムが脆弱すぎる。その脆弱さからきている課題を学校に引き受けろというなら、できる環境を整えてほしい。子どもたちに信頼や人への愛着といったものをいかに育てるか、それができる大人が必要だし、教員の専門性もそこで発揮されるべきだと思う
―という話もうなずきまくりでした。

共感する日本の先生、いっぱいいるんじゃないかなぁ…。

クレーマー化してしまう保護者に対しても、やはり問題の根っこは「孤立」にある。子どもが減り、競争的な社会のせいで、隣人と子育てを分かち合う、知恵を貸し合うという関係性が失われているなかで、ネット上の真偽不明な情報に振り回された結果のクレーマー化だから、保護者同士をつなぐ、保護者と学校の関係性をつなぐ工夫も大事だと思っている…とおっしゃていて、もはや親近感しか沸きませんでした…。

そのまま、ヴィーガンなお弁当で一緒にランチしながらお話して、ほんとうに楽しい時間でした。朝の「あーしんどいぞ…」はどこかに吹っ飛ぶ、ゲンキンな私。

美味しかったです……。


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そして、この日はこの後フリータイム! なので、そちらは番外編ということにします。

 

 

 

 

SVP韓国教育視察ツアー2 午後編

さて、8月12日。推しの誕生日のちょうど1ヶ月前に、なんとかれが育った高陽市へ行くのです!と勝手にテンション上がってた私です(プログラムとまったく関係ないけど、コーディネーターさん「気づいてました? コヤンですよ…!」私「もちろんです!」と道端でひそかに盛り上がってたのでした)

ソウルからはバスで小一時間。移動前にいただいた昼食は「ムルフェ!」
(JINくんの好物ってことで、食べたことなくて食べてみたかったのでした。大満足。しかもパンチャンに「ム」もついてて嬉しかった…)
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コヤン自由学校(고양자유학교:京畿道認定代案学校)
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門構えからして、自然派オルタナティブスクール。
韓国では「代案学校」と呼び、認定制度もあります。過酷な受験競争と学校文化に適応できない子どもたち、それに疑問を持つ大人(保護者)というのも当然いるわけで、既存の学校の「代案」ということですね。そして民主派政権だった頃は公立学校もそれに倣って改革していこうというので、公立代案学校:革新学校(イノベーションスクール)の指定を受けて先進的な授業プログラムや教育手法を取り入れる学校づくりの機運もあったのです(そういう動きの一環に「学生人権条例」もあって、生徒たちと一緒に校則や制服を見直す会議をしたりしていたんですが…)

*代案学校については、2017年のツアーの記事を(このときはくるっとまとめて写真も載せずだったのね・・・笑)

jihyang-tomo.hatenablog.com

 

シュタイナー教育の理論を取り入れた低学年の教室。可愛い。f:id:jihyang_tomo:20230819111732j:image

2002年創立で、昨年が20周年だったそう。小学校から高校まであり、生徒数は100人余り(85世帯)。寮などはないので、通学できる地域の子が通っているとのこと。

「自立と共生」競争的ではなく、ともに学ぶ。「知識より知恵」
子ども・親・教員の三者でつくっていく学校で、大切にしたいのが「가난(貧しさ:贅沢をしない),우정(友情),대화(対話)」、そのための約束事が3つあり、「食べることに意識を向ける」体をつくるのは食べ物なので、どういうものが自分の口に入っているのか、口に入るまでにどこでどのような経過、労働を経ているのかに思いを馳せましょう、と。校庭には畑もあり(保護者のサークル活動として耕作しているものと子どもたちが作業しているものの両方がある)、味噌やキムチを仕込んでいる甕もあったりしました。そして2つ目が「メディアとのつきあい方」これがなかなか厳しくて、中2までスマホの所持厳禁。持った後も校内では原則使用禁止(ネットにつながない)。学校では友だちや先生と話す(対話する)方が大事でしょ!ってことらしいけど、大変だな(と思っちゃうスマホ依存の大人でした…)。そして「私教育の制限」要は塾や習い事通いを基本的に禁じているとのこと。学校で「ともに」を考えているのに競争的な学びに参加(参戦?)してしまったら意味がないだろってことですよね…。ただ、アート系の習いごとに関しては、子ども・親・教員の三者で話し合って「最低限1年は続ける」ことを条件に通うこともあるそうです。

・・・とはいえ、ホントにそれ、可能なの? と思っちゃうわけですが、先生方は「ここがそういう学校だという合意のある人しか通っていないので…」と。まぁ確かに。私たちという訪問客のために来てくれていた生徒さんたち(高校生)はちょっとごにょごにょしつつ(笑)「なんでスマホ ダメなのーって文句言ってた子もいるけど、私は納得してます」と。文句言ってた子の話が聞きたかったな(笑)

定期テスト等はなく、進学のための勉強の手助けは一切しない。中学校、高校への進級のタイミングで、この学校に残るか、ふつうの学校に編入するか、子どもたちが選択して決めることになっているそうで、「なんで残ることにしたの?」と聞いてみたら「試験に追われたりする生活が想像しづらかった」「大学に行くかどうか、行くならここは不利じゃないかとかも考えたけど、自分が本当にやりたいことをゆっくり考える時間の方が大事だと思った」のだそうで、実際に大学に行った先輩もいるし、行きたければなんとかなるんだろうとも思えたーと。そこは20年の蓄積があるからこそだなぁ…。

いわゆる「お勉強」を無視しているわけではなく、学科的な課題は期間を決めて集中的に朝の1時間で毎日取り組むというスタイルだそうで、例えば今は「分数」の概念を学ぶ時期なので、黒板がこうなってます!と↓
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黒板アートじゃん! 写真撮りまくりますよね…。先生が描くそうで「練習すればだれでも描けますよ~」と笑っておられましたが、すごすぎ。
この黒板をぱかっと開くとこうなっていてf:id:jihyang_tomo:20230819111811j:image

真ん中の空いたところで、その日の授業の板書をするそう。
そしてこの「集中課題」が変われば、この黒板アートは消されて、次の課題のアートに…って、すごすぎる。でも、こういうふうに「いまはこの概念について学習している」ことが常に視界に入っていて、毎日反復的に活動していたら、頭にも入りやすいだろうなぁと思いました。黒板は無理でも、壁の掲示なんかでこういう工夫はするといいかもなと思いました。

教室も可愛ければ、廊下も美しい・・・。
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光州民主化闘争やセウォル号事件について学び、メッセージカードをつくったりアート作品をつくったりという活動も。そして、実際に5.18.の光州にいって、追悼集会の場で配ったりもしたそうです。そんな「現場で学ぶ」「交流して対話する」活動も大切にされているのが伝わりました。f:id:jihyang_tomo:20230819111907j:image

高陽市はソウル市の北にあって、すぐそこに38度線があるんですね・・・。(日本でいう多摩ニュータウン的な、ソウル市の人口過密解消のために切り開かれた新興住宅地政策の走りだったそうで…。推しの一家がソウル市からここへ転居したのはまさにその政策なのでした。そっか、そういう街で育ったんだねぇ…と脳内で鳴り響く『Macity』です)。

下の写真は、近くの展望台から38度線側を見て、そこで感じたインスピレーションをもとに製作した作品の写真展、「境界で話す」

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校庭には棗の大きな木。緑豊か。f:id:jihyang_tomo:20230819112019j:image

なんと、手作りアスレチック! 夏休みゆえ草ぼうぼう(笑)

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この日は仁寺洞の「宮」でマンドゥクッ。この店、大好きなんですよねー。入れてよかった人気店。帰り道でSUGAの不穏な書き込みに気づいてキャッキャッしてしまったりもしましたが(「この週末に何!?」と泡食ったら、ツアー終えて初の週末で「何かしないといけない気がしちゃう」という主旨だったらしく 笑。慌てたやん・・・お騒がせユンギさん)
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そんなこんなで、推し活無縁の旅のようでいて、ちょこまか買ってしまったりもしているのでした。でも、看板なんかでいうと、ソウルより生野のコリアタウンの方が出現率高い気がするぞ…。まぁそれが、かれらを焦燥感に追い込む「アイドルの旬」問題なんだろうなとも実感。若手が群雄割拠状態だもんね・・・。そんなこと気にするフェーズじゃないやん?とずっと思ってたけど、最近ようやくかれら自身が「もう自分たちはそこを悩む必要はない」と受け入れたような気もしてて、このままソロ活ばく進してよね。2025年の完全体復活にドキドキですよ、こっちはさ…。
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そして、namaneカードなるものもつくってしまいました(笑)  今回はつくっただけで終わってしまったけど、次に来たときに使うよーん

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SVP韓国教育視察ツアー 2 午前中編

食べ過ぎた次の日の朝ご飯は食べないことにしている50代です。サムギョプサル帰りにコンビニで買った野菜ジュースがちょうど良きでした。

さて、2日目(8月12日午前の部)

아하!(ソウル市立青少年性教育センター)

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あれ? ここは来たことある…と思ったら、2017年に来た「하자センター」と同じ敷地内・・・。入り口からして可愛い。「아하(アハ)」は、何かに気づいたり感心したりしたときの「あぁ!」「わぁ!」といった感嘆を表す表現だそうです。ちなみに「하자(ハジャ)」は「やってみよう!」

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建物はソウル市のもので、YMCAが業務委託されて運営しているセンター。
(何とソウル市の予算で13億ウォンついていて、フルタイム職員が17人。それに外部有識者の運営委員と、9歳から24歳の「青少年運営委員」が入って活動・・・羨ましい)
青少年保護に関する法律と、ソウル市の「青少年センター設置条例」が法的根拠。2000年設置なので、もう23年目ってことですね。

元々は90年代にYMCAがやっていた電話相談(相談員2人)が始まりで、そこで性虐待の被害から逃げてきた子を守るシェルターもない、性暴力に対する認知度も全然ない、これはダメでしょう! と少しずつ声が上がっていったのだと説明がありました。

「こういう政策は、黙っていても行われません。特にマイノリティの声、被害の訴えは聞かれにくいので、大きな事件や惨事が起きて初めてやっと社会問題化し、行政が動き出すことが多いです」

아하の場合は、1998年に仁川のビル火災(夜間)で10代の子どもたちが大勢亡くなった事件がきっかけだったそうで…。つまり、「家にいられない」「行き場所がない」10代の子どもたちが集まれる、安心して過ごせる場がないのだということが問題として社会的に認知され、2000年代にその整備が進んだということ。子どもの問題は「学校」が注目されがちだったが、子どもが育つ場は「学校」だけではない、「街」も重要だということで、学校外の学びや進路を考える「ハジャセンター」と、子どもたち自身が権利に気づき尊厳を守るための包括的性教育を提供する「アハセンター」ができたのだと説明を聞いて、なるほど…でした。

約30年前、性教育というと「Sex」しか想像できない人たちの方が多くて、なぜ若い女性にそんな知識を与える必要があるんだとか、シェルターなんか作ったら家出が増えるだろとか(こういう反応も似てますよね…どこでもそうなんだろうか。反対する人たちあるある)、あれこれ言われたけれど、私たちがやりたかったのは、セクシュアリティ教育であって、子どもたちが悩んでいる性のアイデンティティのこと、相手との関係性、ボディイメージと自己肯定感・・・をどうポジティブに育んでいくかということで、それはいまも変わらない。反対派/保守派には「性不良センター」と呼ばれてます!アハハハ!と笑い飛ばしておられたのも印象的でした。カッコいい。

そしてレクチャーの後は、研修等にいって、子どもたち向けの教具やワークショップについて紹介してもらいました。どれもこれも超興味深かった…。f:id:jihyang_tomo:20230819111235j:image

こちらは、高学年向け。輪になって座ったなかに、性に関するさまざまな単語(性器の名称だとか)のカードがあって、それぞれについて「これはどういう意味? 何をさす単語?」と知っていることを教え合う活動から、正しい性知識のレクチャーへ進むもの。そうすると、いろんな単語は知っていても意味がよくわかっていなかったり、変な知識とともに覚えていたりするのがわかり、最初は恥ずかし気にしている子どもたちも、だんだんまじめに積極的になるそうです。そして、男性器に対してはさまざまな呼ばれ方があって、みんなよく知っているのに、女性器については名称を知らない、名まえってあるんだ!と驚いたりして、そこにある非対称性に気づいて「なんでだろ?」と考えて話し合うことも大事なんです、というお話でした。こういうプログラム開発と実践・検証を担当しているという若い女性スタッフが、ほんわかした感じの方で、こういう人がファシリテーターだと子どもたちも安心だろうなぁと思いました。

次は低学年向け。「このかばんの持ち主はだれ?」
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写真の人が答えなのですが、バッグの中にあるモノ(ぬいぐるみになっていましたが、以前は現物が入っていたらしい)から、持ち主を推測する、そうすると「こういうのをもつのは男性だろう/女性だろう」といった思い込みが露になる、その話し合いが目的の活動です。実際に持ち主がわかった後に「なんでこう思い込んじゃうんだろうね?」と、子どもたちの話は尽きないそうです。素敵。f:id:jihyang_tomo:20230819111316j:image

このクマちゃんたちは、ドラマを用いたワークの道具。就学前の子どもたちと一緒に、クマちゃんを使って「いいタッチ/悪いタッチ」の劇を演じ、不適切な接触をされているクマちゃんを「どうすれば助けられるかな?」と助ける方法をやってみたり、自分が嫌なタッチをされる、あるいはしてしまったとき、どうすればいい? も身体を動かしてセリフを考えて言ってみる…いいなぁ。演劇はこういうふうに使ってほしいぞ!と一人盛り上がる元演劇部(笑)劇遊びって、ホントいいと思う…。しかもクマちゃん、カラフルで可愛い。

そしてもう一つツボったのがこの↓「宇宙円卓会議」の部屋

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センターに寄せられた実際の相談から「地球の子どもの相談」をつくり、さまざまな星の代表として席に着いた子どもたちによる「宇宙会議」でそのお悩みを解決しましょう! というロールプレイ。この円卓が可愛い。中央の丸テーブルの上に「好きな人がいるんですけどぉ…」とお悩み相談者のアニメで「さぁ、解決してあげてください!」と議題が示される仕掛けもおもしろくて、これはみんながんばっちゃうだろうなぁと。

そんな教育施設もばっちり持ってらっしゃるわけですが、学校への出張授業なんかもしておられます。ただ、教具や場の仕掛けなども必要なので、「ならばセンターそのものが出張しちゃおう!」とバスをつくったそうで(笑)こんなのが来てくれたら、それだけでテンション上がっちゃいますよね! 貧困地域や、センターに子どもたちが来るには難しい不便なところなどに、ガンガン出かけているそうです。
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おみやげに、ステッカーとか生理についてのリーフレットをもらいました。どれもこれも可愛い。ここでもデザインの力に感心・・・でした。f:id:jihyang_tomo:20230819112252j:image

そうそう、一つ印象的だったことで。

ジェンダーアイデンティティとしては、男女2分ではないとはいえ、やはり社会的に「女子として」「男子として」教育されてしまう側面をふまえると、ジェンダー別の性教育プログラムが必要だと感じていると。特に家父長制的な価値観が強い社会で育つ男子には、さまざまな「男らしさ」の抑圧もあるし、男女の不均衡な力関係と女子に対して抑圧的・威圧的にふるまうことが内面化されている、そのことを踏まえたプログラムが絶対に必要だということで、「男子青少年性教育研究所」を立ち上げたのだそう。

その前段の話で、電話相談などで相談してくるのは男女どちらが多いか? というと、男子の方が多いらしく、その要因というのが「学校がもて余して『ここに聞きに行け』とふってくるから」と聞いて、驚愕・・・と思ったけど、すぐに「ありそうだなぁ」と思ってしまったのでした。性的な逸脱行動とか大人を困惑させる質問とか、そういうのに学校が対応しきれない(知識の問題もあるし多忙さという問題もある)っていうのは十分ありそう…。そして日本はどうなっているんだろうな?と。

セクシュアリティの問題に特化してるわけではない一般的な子ども向け電話相談のバイトを息子ちゃんがやってたことがあって、そのときには相談してくるのは圧倒的に女子で「男はそもそも相談ようせぇへんっていうのが問題なんやと思う」と言っていたことも思い出した。そうすると、持て余されているにせよ、学校の先生には言えているわけで、そして先生がダメならアハがある!わけで、・・・そうでない日本、マズくないか? と考えさせられてしまった。高校に勤めていたとき、DV加害者になっちゃった男子生徒の指導を男性教員がことごとく嫌がって「なんで私が聞かにゃならんのんだ」と怒りながら事情聴取(という名のただただ「ふんふん」と話すだけなんだけど)したのも思い出した。それはもう20年ぐらい前の話だけど、「女を殴るような奴の心理は理解できへんから無理」って、イヤそんなの私も理解できねーよ! 理解できるから指導するわけちゃうやん! と激怒する私に相手は恐縮(?)してたけど、けっきょくはベテランの女性の先生が丁寧に話を聞いて、その男子の家族との関係が相当にしんどいことがわかって(被害者の女子の方もその事情が分かってて同情して我慢していた)、管理職も入って保護者とだいぶやりあった覚えがある(そう思いだしてみると、保護者と対峙するのを担任ひとりに任せて知らん顔した管理職は最低だなと、前日の話も思い出してまた怒りがわく…) 

やっぱり包括的性教育必要です。何をおいても、まず大人からやり始めないと。このままでは子どもがしんどすぎるし、大人もしんどいままだよ…。

そこをポップにがんばっているアハセンターと、それを公費でやってるソウル市、がんばれ!(いま、ソウル市は保守派の首長で、ちょっとドキドキするけど。いまのところ大丈夫そうなので、やっぱり法律つくって仕組みをつくってしまうのは大事だなぁと思うのでした)

SVP韓国教育視察ツアー 1

台風に挟まれ、台風からすり抜けるようにソウルへ往復してまいりました…。
(一日前乗りしてHYBE本社近くまで行くつもりが、雨風にひるんで行けなかった…じゃんねん。そしてなんとその前日にリウム美術館行きました~とかのたまう推し。そうか、もう一日早く前乗りすべきだったか(違)w)

youtu.be

うん。そうだね。記録は大事だよね…と推しに励まされつつ、ぐちゃぐちゃのメモ書きと写真を少し整理しようかと思います。参加したツアーはこちら!

megaphone.school-voice-pj.org

8月11日~14日、訪問順に記事を分けて書いて整理します。知った情報の整理・・・というよりは、私が感じたこと・考えたことの備忘の意味が強めです。

まずは1日目から。

9月11日午後:全国教員組合(全教組)訪問

団体の拠点として建ったばかり!というビルにお邪魔し、お話を伺いました。

ビルの入り口から「교육 희망(教育希望)」と掲げてあって痺れます。

そして各階段ホールにこんな装飾が。カッコいい。

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最上階が歴史資料室。団体の歴史が見渡せる展示と資料室。こういうの、大事ですよね。
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1961年に結成されたものの、軍事政権下では活動できず。88オリンピック/民主化の流れを受けて1989年5月28日にようやく活動スタート……と思いきやの「非合法組織」に加入したことを理由に全国で1500名余の教員が解雇される。この解雇撤回闘争が最初の闘い。映画『1987ある闘いの真実』を思い出しました。

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ちょうどその頃、日本で私は「91年問題」を前に、外国人登録法や出入国管理法について勉強していて、日本で暮らす人の問題なのになぜか外交カードの1枚になって日韓首脳会談の議題になったりするのがどうにも腑に落ちなくて「なんでここで外交が出てくるん?(しかも人権とかまったく興味なさそうな全斗煥大統領・・・)」とモヤッてたっけなということも思い出した。(資料室の年表見ながら、こういう韓国内の民主主義を巡る闘いのことをまったく知らずにいたんだよなぁと不明を恥じる。日本でいうと60年代や70年代初期の日教組vs文部省とも通じるかなぁ…)f:id:jihyang_tomo:20230819110811j:image

写真右上にある丸いシンボルマーク「참 교육(真の教育)」の赤と青は南北分断含め「分断」を越えた連帯をめざそう、教育は分断されまい、という意味だそうです。カッコいいし可愛い(こういうデザインセンス、いつも感心する。韓国の市民運動、市民団体って、なんかこういうのセンスいいんですよね…なんだろな)

下の写真は「組合潰し」のために、こっそり組合加入している教員を探すためのチェックリスト。「付け届けを受け取らない教師」「よい授業づくりのために探究を怠らない教師」「学級新聞をつくる教師」「貧しい家庭に寄り添い、家庭訪問する教師」…って、私のことですか(笑)とひとしきり受けてしまった参加者のみなさんでした。
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この7月18日にソウル江南地区の小学校で、新卒2年目の教員が校内で自死するという衝撃的な事件があって、ソウルでは毎週末に光化門ひろばに先生たちが集まって追悼と学校現場の環境改善を求める集会・デモ開催中でした(この事件は気になっていたので、今回のツアーでいろいろと教えてもらえて良かったです)。

背景として、そもそも過酷になり過ぎた学歴競争・受験競争があって、子どもも親も疲弊しきっている(ゆえに韓国は日本以上の勢いですさまじい少子化が進んでいる)。社会的にも、これは問題だと思われてはいて、教育改革も何度も試みられているし世間の関心も高いけれど、根本的な解決にはなっていない。

Keyword「教権(교권)」
教師が不当な圧力を受けることなく安全に、人権を守られた状態で教育活動を行う権利・・・を言う造語。こういう表現をつくって訴えなければならないぐらい、教員の立場が脆弱になっていると。

7.18.の事件は学校施設内だったから注目されただけで、教員の自死や病気休職・退職は年々増加しているそうです(ゆえに多くの教員が「他人事ではない!」と集会に駆けつけている)。保護者の学校・教員に対する過剰な要求とプレッシャー、それに対して盾になってくれない管理職(担任教員の個人電話番号を保護者に周知して「そっちで対応して」的な管理職が多いらしい。そりゃ先生たち病むに決まってる…)…と何重にも教員が孤立しやすい条件が重なっているという話が、この日は印象的でした。
(この「教権」については、日を追うごとに解像度が上がりましたので、後の記事でも)

韓国行ったら、美味しいごはん! ですよね。初日はみんなでサムギョプサルを楽しみました。台風で、ツアー参加者全員がそろったのはこの後・・・という波乱万丈スタート(そして帰りも台風で飛行機欠航して取り直さねば!の人が続出する波乱万丈)
とはいえ、美味しかったです。堪能。
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もう一つ、組合といえば気になる加入率(笑)

韓国でも、もっとも多かったころに比べると加入者数は約半分(全国で4万人ほど/加入率でいえば10%ぐらい)。自死した先生も非組合員で、若い人ほど加入していないのが実情らしい…。そのへんの経緯を聞いていたら、ちょうど80年代前半頃の日本と似ていて、そこは似なくていいのよ…と思ってしまいました。要は「組合」という存在を、厄介な対立をもちこむ迷惑グループのように喧伝する→若い人がそういうややこしそうなとこならどうしようか・・・と及び腰になる→日々多忙で追われていて組合について調べる余裕もないから加入しない→一人で問題を抱え込んで追いつめられる 構図ができあがっているってこと。今回の事件で毎週末に集まっているのも、組合経由ではなくてSNS経由。とはいえ、自由意思で集まっているわけで、ある意味、「組合員だから動員で」というのではない、それだけ切迫している問題だということで、これきっかけに組合(でもそれ以外でも)横につながって、せめて一人で抱え込んで追いつめられる先生が1人でも減るといいなと願います。

あと、日本の組織は見習ってほしいと思ったのが組合役員の男女比。

お話をしてくれたのは委員長さん(男性)で、最初に「別件があるので挨拶だけ」と話してくださったのが事務総長さん(女性)。この役職がツートップだそうですが、「両方とも男性」はNGと決まっているそうです(両方女性はOK)。韓国は小学校の教員の約70%が女性なので、組合員も女性の方が多く、必然的に他の役職も女性の比率は高め。日本の組合が交流のために来たんだけど役員ほぼ男性でビックリした(笑)と言われて恥ずかしかったぜよ…。

個人的に2016年韓国#metooの頃にできた「学生人権条例」どうなってるのかも気になっていたのですが、教育監(日本でいう教育長・韓国では直接選挙制で、地方選挙の際に一緒に選ばれる)が保守派に代わると「学生人権条例」に手を付けるらしい…。民主派の象徴みたいなものだから、変化をアピールするのに手っ取り早いから(そして、韓国の報道いくつか見たなかに、「教権」が脅かされているのは学生人権条例なんかで学生がわがままになったからだ!論調のものもあって、そういうとこも日本に似てるなと思うのでした)。とはいえ、民主派だからといって人権に理解があるとは限らないし、影響は限定的かな…という反応でした。そこらへん、一度大衆的に火がついて獲得された権利については、市民の方が引かない強さを秘めているってことだろうか・・・?と思ったり。にしては、教員をそこまで追い詰めるほどクレーマー化してしまうのも市民なわけで、きっと単純に何が悪いといえない、これまでのさまざまな問題の蓄積のミルフィーユで、状況としてはみんなが何となく追い詰められ感に苛まれているしんどさ、重苦しさがあるのかなぁ…なんて思いながら、一日目の夜は更けたのでした。